1200年のうつりかわり

古城山甲岩起源伝説



 弘仁13 年,弘法大師が諸国をおめくりになる途中,行円庵( 世羅町神崎編照寺) にお泊りになったときの事です。

 その夜,どこからともなく観音経の文句が聞こえてくるので縁側に出てご覧になると,向こうの山の山頂から後光が射して,そこからお経の声が聞こえてくるではありませんか。

 弘法大師は「きっと,御仏様の尊いお告げにちがいない」とお考えになり,翌朝その山に登りかけられますと,岩の上に高野明神がお立ちになっていて,「この地は佛教に適した神聖な地である。もし,あなたがお寺を建てられるなら,私は守護神となります」と言って姿を消されました。

 弘法大師は有り難いことだと思われながら山頂に登ってみられると,そこには大きな岩の上に,一寸八分( 約5.5cm) の黄金の観音様がありました。

 弘法大師は,伏し拝まれ,捧げ持って山を降りられると,行円主に頼んで寺を建立せられ,また自ら栴檀の木を切って十一面観音像を彫りあげると,その御頭の中に黄金の観音様を納められ,この寺のご本尊にされました。





へんじょう寺伝説

旧世羅町立大田小学校 1988年卒業制作より


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