今高野山について

1. 大田庄について


 世羅町は,広島県の中東部に位置し,また芦田川(旧大田川)の上流域にあたる地域です。特に中世の平安時代末期から室町時代にかけて,「備後国大田庄」といわれる「荘園」があった場所として全国に知られています。


 庄園とは中央の有力者たちの所領(領地)のことです。西暦645年の「大化の改新」以来,土地と人民は国の所有物であるという「公地公民制」の原則がありました。
 しかし,後に開発意欲の衰退を留めるために出された政策により,一部私有できるという例外が認められるようになりました。このことが発端となり,全国の約半分の耕地が庄園化したといわれています。

 「大田荘」は,橘氏により開発され,橘氏から平氏へ, 平氏から後白河法皇(院)へと寄進されました。 そして,後白河法皇は源平の合戦後,平家の霊を弔うため高野山へ寄進し,300年以上年貢が納められ,その政所として,今高野山が作られました。

 大田庄があった世羅町を中心とする地域には,今高野山(県史跡)・下津屋十二坊など,庄園ゆかりの寺院や史跡・文化財が多くあり,当時の面影を残しています。




2. 県史跡 今高野山について


 『今高野山縁起』によると,今高野山の寺院は,弘仁13(822)年に弘法大師空海が開いた真言密教の霊場とされ,令和4年(2022年)で,開基1200年を迎えます。

 紀州高野山が甲山の地に,西の別格本山・現地の拠点として「今高野山」を建立しました。「今」という字には,新しいという意味があります

 今高野山は,龍華寺・金剛寺・丹生神社を中心に7堂12院が建てられ繁栄しましたが,自然災害による天災や戦国時代の毛利・尼子の兵乱,そして江戸時代の大火などの人災により,今では総門(仁王門)・安楽院・福智院・龍華寺の本堂,観音堂,御影堂,護摩堂,十王堂・丹生神社・鐘楼だけになってしまいました。

 また,今高野山には観音堂(本堂)の本尊である「十一面観音立像」2躯(平安時代),丹生神社の「獅子頭」(鎌倉時代)等があり,国重要文化財に指定されるなど,数多くの文化財が残っています。
 

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